法令順守はできて当たり前の時代、できなければ未来はないというのが最近の認識です

法令を守れば何をして良い?

コンプライアンスとは、日本語では法令遵守という意味で訳される事がほとんどです。

コンプライアンスで法令遵守は最低限必要の画像だからといって、法律を守れば何をしても良いという事ではありません。

残念ながら、法律の隙間をぬって、違法に近いギリギリの行為を行っている企業・団体・組織も存在しています。コンプライアンス=法令遵守、ということであれば、違法行為になりさえしなければ「コンプライアンスを遵守している」という逆説的な発想になるのも、分からなくはありません。

しかし、こうした企業・団体・組織が法律に違法していないと主張した所で、社会的なステークホルダー(主にお客様)から納得を得ることは難しいのではないでしょうか。

少なくても現代社会では、法律に触れなければ何をやっても良いという風潮ではありませんし、むしろそのようなすれすれの企業を含めて「ブラック企業」と呼ぶように、社会的には応援したい会社(組織)は法令よりも、いかにお客様に対して真摯で真剣であるかを基準にしているかのようにも思えます。

法律さえ守れば何をしても良いとい考え方は、いずれは社会的な信用を失う事となり、最終的に取り返しのつかない事態を招いてしまう事となるでしょう。

遵守するのは法律だけではなく、日本人の心のことも含めて

コンプライアンスとは、ただ法律を守る事を徹底させるという意味の言葉では無いという事です。

法律を守り、違法行為を防ぐ事も勿論重要な事です。

しかし、コンプライアンスとは法令遵守のその先にある、企業理念や倫理規定・社会貢献をを見据えた意味を持つ言葉であるという事を、理解する事が大切です。

日本では阿吽の呼吸に代表されるように、昔からの伝統を重んじて、それほどうるさくなかった消費者(お客様)ですが、最近では価値観の多様化に伴って、いろいろと細かい部分まで要求水準は高まりつつあります。

これはこれで歓迎すべきことであり、お客様が声を上げることによって企業の対応が改善され、あるいは技術革新などによって社会が益々便利になるということが現実的に起こるようになってきています。

法令遵守だけでは企業は生き残ることはできません。

それよりも一段深いレベルでの結びつき、つまり、精神的なことが大切になりつつあります。

コンプライアンスと言う言葉が注目されるようになってから、悪質な企業は淘汰され、元気な企業はお客様を念頭においた経営によって次々に新たな製品・サービスの開発・提供を実現しています。

コンプライアンスは法律を守ることである、と日本において解釈されたならば、ここまで社会システム自体に大きな影響は与えなかったのではないかと思います。そう考えると、日本においてコンプライアンスと言う言葉は、ある意味で国の成長発展にも寄与しているということが言えそうです。

 

コンプライアンスを自分なりに解釈する

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